1981年、上智大学外国語学部英語学科入学と同時に指揮法を学び始め、小林研一郎氏に師事。1986年同大学を卒業後渡米し、セントルイス交響楽団に於いて3年間、音楽監督レナード・スラットキン氏の下に音楽とオーケストラ実務両面に於いて研修を続ける。
1990年8月、カナダ・ケベック州ドメイン=フォルジュにて行われた指揮者研修会に於いて、最優秀指揮者賞を受賞。同時に講習会の指導者であったオットー=ウェルナー・ミューラー氏の強い招きにより、同年9月より米国フィラデルフィアのカーティス音楽院指揮科にオーディション無しの特例にて入学。同院卒業後、1994年9月からはジュリアード音楽院に在籍、1995年には同院室内管弦楽団と共に来日、神戸にて演奏会を指揮し好評を得た。
以来、アメリカ、カナダ、日本などに於いて活発な音楽活動を続けており、上智大学管弦楽団の指揮者にも就任。1998年より3年間、ナショナル交響楽団(ワシントン)の副指揮者を務める。1999年秋の同響の定期公演に続く12月のメサイア公演は『ワシントン・ポスト』紙で絶賛され、「音楽の友」誌でも紹介された。2000年から2004年、ワシントンの音楽教育プログラムであるワシントンDCユースオーケストラの初の常任指挿者に選ばれ、2003年夏の来日を含む世界中への演奏旅行をはじめとした精力的な活動を行った。2004年7月、オイストラフ記念音楽祭の一環としてエストニアにて行われたネーメ・ヤルヴイ・サマーアカデミーに選抜され参加、ネーメ・ヤルヴィ、ヨルマ・パヌラの両氏に師事、両氏から高い評価を得た。2004年に帰国し、国内、国外で活動を続けている。